profile
はじめまして。
整体サロンENVIオーナーの荒木隆広と申します。
ホームぺージ上ではありますが今あなたと繋がれたのも大切なご縁です。私のこれまでの人生振り返りつつ、どうして治療家になったのかなど含め自己紹介させていただきます。
荒木隆広(アラキタカヒロ)
1981年4月12日新潟生まれ横浜育ち
理学療法士
母の地元新潟の病院で生まれ、その後は神奈川県横浜市ですくすく育ちました。
いつも母親にべったりでとにかく泣き虫甘えん坊な男の子。
そんな私のライフストーリーです。
2000年 神奈川県立荏田高校卒業
2004年 国士舘大学法学部法律学科卒業
2009年 東京衛生学園専門学校リハビリテーション科二部入学
2012年 東京衛生学園専門学校リハビリテーション科二部卒業
2012年 国家資格理学療法士免許取得
2013年 都内総合病院に4年間勤務
2017年 都内整形外科クリニックへ転職
2020年 川崎市鷺沼に整体サロンENVI独立開業
~とにかく飽き性な子供時代~
習い事は水泳やサッカーなど色々やらせてもらうも長続きせず。水泳に至っては早い段階で泣きわめいて拒否。やったうちに入りません。そんな中で唯一小学校6年間、ブーブーいいながらもなんとかぎりぎり続いたのは合気道でした。仲の良い友達がいたお陰です。中学入学と同時に辞めてしまいましたが今思うと施術者としても良い経験でした。
そんな飽きっぽい私が小学生から始めて今でも楽しくてやめられないのがダンスです。主にヒップホップやハウスといったストリートダンス。出会ったのは小学6年生の時。当時のテレビ番組「とんねるずのみなさんのおかげです」の中でとんねるずのお二人と荻野目洋子さんが三人で踊っているのを見て、なにこれおもしろい!と思ったのが最初です。そしてそれを真似するようになり、それを学校でやる→うける→嬉しい→もっとうけたい→もっとやる、子供によくあるこの流れです。
そのあともテレビでダンスをみれば録画して家でコソコソ練習する少年でした。
~ダンスにのめり込んでいった中学高校大学時代~
小学校の卒業文集に「将来の夢はJリーガー」と書いておきながら中学入学と同時に流行っていた漫画スラムダンクの影響でころっとバスケ部に所属。(浮気な奴です)
そんな中学一年の体育祭のことです。初めて観客のいる前でダンスを披露する機会がありました。小学校時代から家でコソコソ練習していたお陰もあり、随分と誉めてもらいました。この喜びは友達にうけたそれの何倍も嬉しかったことでした。その感動を知ってしまった私は益々ダンスにのめり込んでいきました。それからはとにかくダンスがしたい私。しかし高校のダンス部には女子しかおらずどうしようかと悩んでいたら、なんと同じクラスにダンス経験者の男子がいることを知り、一緒に入部することになりました。(当時男子でダンス経験者はなかなか出会えなかった)。はじめて踊る仲間と出会えた嬉しさもあり、ダンス漬けの毎日でした。大学進学後は多摩美術大学のダンス部に所属。自分よりもっともっと上手い先輩方や仲間たちと出会い、ダンスへの情熱は加速する一方。次第にプロを目指したいという気持ちさえ芽生えていきました。それ故に授業そっちのけダンス三昧。自分の大学そっちのけで毎日多摩美に入り浸り、自分の大学では単位を落とし過ぎて最終学年なのに毎日フルで授業をうけるという超ダメな学生でしたがなんとか四年で卒業することができました。
~ダンスするためのアルバイトで体はボロボロに~
大学卒業後もダンスを続けるべく様々のバイトをしました。ピザのデリバリー、テレアポ、カード会社、携帯電話のカスタマーセンター、夜のお仕事も少々。でも今になると何一つ無駄じゃなかったと本当に思います。寧ろ活かされることばかり。(夜のお仕事が特に活かされている!)
25、6歳のころは深夜バイトしながら日中はダンス練習やリハーサルと毎日寝不足で生活リズムはぐちゃぐちゃ、体にガタがくるのも当然。ある日ダンスレッスンの仕事のときでした。生徒さんに向かって「では始めまーす」と号令をかけると同時に背中にピキッと激痛が走りました。過去にぎっくり腰もやってはいますが、背中や肋骨周りが痛んだのは初めてでした。そのあとは呼吸するのも痛いくらいで、90分間のレッスンを冷や汗を掻きながらなんとか終えたあと、「ダンサーとして食べてくことは自分には無理かも」と思いはじめたことを覚えています。ダンスを続けるためのアルバイトのはずがダンスを続けられない身体になっていたというTHE 本末転倒でした。
~27歳で理学療法士になることを決意~
そう思いながら腰痛や背中の痛みもあり近所の整形外科に通っていたころ、友人から理学療法士の先生を紹介していただきお話する機会がありました。仕事のことを相談すると「国家資格とるのは簡単やないけどやってみたらええやん、面白い仕事やで(関西出身の先生)」という助言もあり、27歳で理学療法士になることを決意し、専門学校の夜間部へ入学。そこからはそれまでの自分をこっぱみじんに叩き潰され今の私の基盤が作られていく、とても厳しく苦しかった4年間。自分の甘さに気づかずに27年間も何をやっていたんだろうと自己嫌悪に陥りながらもいつも学校の友人や先生、バイト先の病院の理学療法士の先生方、そして家族に支えられながらなんとか理学療法士の国家資格を取得することができました。あの4年間は今でも思い出すと胸が苦しくなりますが自分にとって絶対になくてはならない有難い時間だったと心の底から思います。
~31歳で理学療法士として総合病院でデビュー~
最初に勤務したのは大きいグループ病院の中の100床ほどの古~い総合病院。入職する前に臨床実習で2か月間お世話になっていたこともあり、荒木さんもうだいたいわかるでしょみたいな感じで一から丁寧に教えてくれることもほとんどなく、数日先輩についたらあとは一人でよろしくね~的な感じでした。えー!?そんなんでいいの!!?。思ってた以上のゆるさに戸惑いながらも任せてもらえることは嬉しく少ない知識で患者さまのリハビリをさせていただきながら業務後に参考書や文献を読んで勉強し翌日に備える。決して苦ではなく寧ろ知識が増えれば患者さまに提供できるものも少しずつ増えていきそれなりに充実感もありましたが当然経験がないことばかりで冷や汗だくだくの毎日でした。入職して2カ月後のある日のこと。所属長はじめ上司の理学療法士の先生方(全員年上)は退職や移動になり、入職後わずか半年であっという間にいなくなりました(苦笑)。どうやら当時のゆるゆるだったリハビリ科を建て直すべく本部からお達しが来たようです。それと入れ替わりに本部の病院から自分より若い20代の先生が二人(とはいえ当時キャリア5年目、9年目の先生方)が配属になり、ガラリと雰囲気が変わり、とても活気に溢れたリハビリ科になっていきました。年上の後輩という扱いずらい私に対してもとにかく丁寧に教えてくれる先輩に恵まれました。病院のドクターもリハビリ科がすごく良くなったとお褒めの言葉いただくことも多く、その一員だったことがとても嬉しかったし、もっと頑張ろうという気にさせてくれました。
~遅咲き故の焦り、どんなセラピストになるべきか~
同期入職の仲間は皆未来あるキラキラの20代。当時31歳の私が周りと同じような感覚で働いてたらあっというまに40代に突入してしまう。リハビリと一言でいっても様々な分野があります。もちろん幅広く学べたらいいのは分かっていたけど自分の歳でそれをやるには時間が足りない。自分はとにかく何かに特化したセラピストにならなければと常々考えては気持ちばかり焦っていました。当時の私は整形外科疾患の患者さまのリハビリが中心でした。とくに五十肩や腰痛、膝痛の外来患者様のリハビリになかなか思うような結果が出せず悩んでいました。教科書通りにリハビリをやっても患者様の症状を改善できない。文献も色々読んでは試すもうまくいかない・・・。ぬー、理学療法士のくせになんの結果も出せないとか超格好悪い。そんなとき当時の上司がある勉強会に誘ってくれました。その内容が腰痛や五十肩や変形性膝関節症などの慢性痛に対するアプローチを紹介する内容でした。その勉強会でたくさんのヒントをもらい持ち帰り、早速次の日から患者様に試すと施術後に「痛みだいぶ和らぎました」「前よりスムーズに歩けるようになった」などの反応が少しずつですが貰えるようになりました。その時にこれだ!と感じました。私は整形外科分野のリハビリに力を入れていこうと考えるようになりました。